取材者と取材対象との関係
奥田祥子『男性漂流:男たちは何におびえているか』(講談社+α新書,2015)読了後、前作『男はつらいらしい』(新潮新書,2007)を読みはじめています。著者は元読売新聞ウイークリー記者で、最後の職場『読売ウィークリー』編集部がお取りつぶしに遭ったことなどから、独立した人われたようです。ながらく「客観報道」の枠組みに縛られてきたけれど、「結婚できない男」たちを取材するうえで、取材者と取材対象との関係を変えざるをえなかったことが吐露されています。
奥田祥子(2015) 『男性漂流:男たちは何におびえているか』 講談社+α新書.
奥田祥子(2007) 『男はつらいらしい』新潮新書.
[・・・]私も、「クリスマス」どころか、「大晦日」だってとっくに過ぎた、れっきとした未婚女性だからだ。/むろん、記者である以上、客観報道は心がけるべきであるし、実際これまで個人の意見や感情を差し挟むことは決して許されてこなかった。それは十数年も記者をしていると、自然と心身の奥深くに染みこんでいる。だが、さすがにこのテーマについては、自分の思いを移入しないわけにはいかなかった。 (『男はつらいらしい』第1章より)
この感覚は、じつによく分かります。他人様に時間をとってもらい琴線に触れるような私的な話を聞かせてもらうにあたり、取材者は透明人間のような存在ではいられません。もし自己情報を開示せずに取材対象に「どうか本音を語って」と願い出ても、実のある取材はできないでしょう。そうした視点で両書を読み進めるのは、じつにスリリングです。
「記者さんは好きな仕事を正社員としてできて、不満なんてこれっぽっちもないでしょ? ほんとうらやましいっすよ」(『男性漂流』最終章)
「女はやっぱ、得ですね。はっ、はっ・・・・・・」(同)
読売新聞社という一流企業で高給を得ながら、“哀れ”な男たちを追いかけ回す女性記者。そんな著者に対して、取材対象からきつい言葉をぶつけられる機会は一再ではなかったようです。しかし、著者自身も未婚で、介護すべき老親がいて、社内リストラという壁にぶち当たった。著者が取材対象者との関わりの中で接点を見いだしていく場面の描き方は見事です。
むろん両書が、現在の男たちの苦悩を語りつくしていると言い切ることはできないと思います。むしろ、わたしには両書が、“オンナ記者のワタシ語り”のようにさえ感じられました。なぜなら、両書に登場するオトコたちは、超大手メディアの女性記者に対し、心を開くことができた一部の男たちです。彼らから語られた言葉をオンナの著者のフィルターを通して再構成されているからです。
いずれにしても、取材者がじぶんの考えやプライベートな情報を、どれくらい相手に伝えるかというのは、あらためてじっくり考えたい問題です。機会があれば、この点についてインタビューしたいと思いました。
追記:
以前、鈴木大介『最貧困女子』(幻冬舎新書,2014)を読んだときにも感じましたが、取材者と対象が「異性」であることは、あんがい悪くないように思えました。たとえば、同性が抱えている問題は見当がつきやすいけれど、異性のココロやカラダ、シャカイ関係は分からないことが多いので、分かったような気になって書くことが許されないのかもしれませんね。
追記2:
奥田さんは読売新聞に在社されているとの連絡を、某社の方からいただきました。ごめんなさい。余計な軋轢をうんでしまったらごめんなさい。
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