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2016年6月20日 (月)

ジャーナリストと社会運動の距離感 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第4回

ジャーナリズムとは、ジャーナルとイズムの合成語です。共同性と公開性が支える公共性…… ジャーナリズムとは、わたしたちの暮らし関する重要な情報をみなで分かち合おうとする思想と実践だろうと思います。それが前提としているのは、表現の自由やデモクラシーに価値を置く社会の存在です。

しかし、わたしたちの社会が大切なものを手放しそうになっているのを、たまたまジャーナリストの側が気づいたとき、「ねぇ、みんな聞いてくれ」と呼びかけることはある。でも、それだけでなく「みんなで集まれ、一緒にやろう!」とアクションを起こすことはどこまで許されるのか。

今回のジレンマは、社会科学に関わっている研究者たちにも、公務員にも決して無縁の議論ではないと思います。

〈CASE 04〉ジャーナリストと社会運動の距離感 http://keisobiblio.com/2016/06/14/hatanaka04/

ところで、ジャーナリズムの倫理をめぐる議論のひとつの典型は、1)ジャーナリズムの使命は権力監視であり、2)その力が劣化しているので、3)よりいっそう鍛え直さなければならない――という流れ。底流には、アメリカジャーナリズムに対する信仰と劣等感が見え隠れする。たしかに権力監視は重要な機能だけど、日本のすべての新聞が小さなニューヨークタイムズになる必要なんて、どこにもありませんよね。

これまでのバックナンバー

〈CASE 03〉その「オフレコ」は守るべきか、破るべきか http://keisobiblio.com/2016/05/24/hatanaka03/
〈CASE 02〉人質解放のため報道腕章を警察に貸すべきか http://keisobiblio.com/2016/05/10/hatanaka02/
〈CASE 01〉 最高の写真? 最低の撮影者? http://keisobiblio.com/2016/04/12/hatanaka01/

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