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2016年8月30日 (火)

報道の定義、説明してくれませんか? 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第7回

橋下徹氏は大阪市長時代、みずからが率いていた政党の映像取材班を会見場に参加させました。政党メディアが「報道機関」が主催する記者会見に、「報道」の主体として参加した例は、日本のジャーナリズム史上異例の事態だったのではないでしょうか(悪しき前例を作りました)。

記者クラブ側は当初、維新のカメラが取材する側に陣取ることを「報道目的ではない」と断りました。しかし「報道の定義」をめぐる橋下氏の問いに対抗できず、結局、維新のカメラが入りました。結果、報道記者が橋下氏から叱責・面罵される光景まで含めてYouTubeなどで閲覧されるようになりました。本当にこれでよかったのでしょうか。

〈CASE 07〉報道の定義、説明してくれませんか? http://keisobiblio.com/2016/08/30/hatanaka07/

わたしがこの問題に着目したきっかけは、YouTube動画でした。わたしもかつて取材する側だったので、当時の大阪市政記者クラブのみなさんがいかに困難な経験をしたか想像できます。でも、こうした問題を理論的にも乗り越えなければ、橋下タイプの政治家取材はますます困難になるでしょう。

現役ジャーナリストで、ジャーナリズムの道徳的な問題に関心のある方はご連絡ください。一緒に考えましょう。

これまでのバックナンバー

〈CASE 06〉組織ジャーナリストに「言論の自由」はあるか(2016/08/09)
〈CASE 05〉戦場ジャーナリスト、君死にたまふことなかれ(2016/07/12)
〈CASE 04〉ジャーナリストと社会運動の距離感(2016/06/14)
〈CASE 03〉その「オフレコ」は守るべきか、破るべきか(2016/05/24)
〈CASE 02〉人質解放のため報道腕章を警察に貸すべきか(2016/05/10)
〈CASE 01〉最高の写真? 最低の撮影者?(2016/04/12)

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