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2017年1月13日 (金)

メディアスクラムという名の人災 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第11回

大事件や大事故、大災害のたびに「メディアスクラム」を発生させていれば、じぶんたちが社会から信頼を失うことを、現場の記者たち自身が実感しています。「見世物じゃない」「邪魔だ、帰れ」「マスゴミはいらない」……そんな言葉をたびたびぶつけられていれば、だれだって、これじゃダメだと気付くはずです。

取材陣が連日大挙してやくる地域の住民にしてみれば、「スクラム」になっているメディア関係者を排除したいはず。「報道の自由」は大切かもしれないが、だからといって、自分たちがメディアスクラムの被害を押しつけられてはたまったものではありません。警察に依頼して、取材陣を強制排除してもらいたいと思っても不思議ではありません。

〈CASE 11〉メディアスクラムという名の人災 keisobiblio.com/2017/01/10/hatanaka11/

いつも取材現場を駆け回っている記者なら、迷惑を被っている住民の気持ちを肌身で感じているし、そのことに危機感を抱いています。しかし、一人ひとりの取材者にとって、自分一人が現場を離れれば、「特オチ」になる。なので、「分かっちゃいるけど止められない」あるいは「みんなで渡れば怖くない」という心理になります。

今回はこの問題を考えてみました。

バックナンバー

〈CASE 10〉 取材謝礼のグレーゾーン(2016/12/13)
〈CASE 09〉 小切手ジャーナリズムとニュースの値段(2016/10/25)
〈CASE 08〉 原発事故、メディア経営者の覚悟と責任(2016/10/25)
〈CASE 07〉 報道の定義、説明してくれませんか?(2016/08/30)

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