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2017年4月 5日 (水)

「忘れられる権利」か、ネット上での記事公開か 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第15回

全国の地方紙と共同通信の合同サイト「47NEWS(よんななニュース)」の初代デスクを仰せつかっていたとき、「私の逮捕記事を削除してください」というメールを幾度ももらいました。「刑期を終えた」という人や、「不起訴だった」という人もいましたし、商売や就職活動に差し障っているというものもありました。ひとことで言えば、「忘れられる権利」の主張です。

後発のニュースサイトを立ち上げにあたり、かなりの過去記事を検索対象にしたため、社会的に忘れられていたはずの「元逮捕者」の実名が晒されることになったのです。わたしは、その都度、データ担当者に削除を要請しました。罪悪感も感じていました。

〈CASE 15〉「忘れられる権利」か、ネット上での記事公開か http://keisobiblio.com/2017/04/04/hatanaka15/

しかし、報道関係者のなかには、じぶんたちには逮捕された人たちに社会的制裁を加える権利があるかのように考えている人もいて、ゲンナリさせられたことも幾度かあります。当時、共同通信社内でこうした問題に関する勉強会を開く余裕もありませんでした。今回は、わたし自身の反省を込めて書いています。

バックナンバー

CASE 14〉世間に制裁される加害者家族をどう報じる(2017/03/41)
〈CASE 13〉被害者の実名・匿名の判断は誰がする? (2017/02/21)
〈CASE 12〉取材先からゲラのチェックを求められたら(2017/01/31)
〈CASE 11〉 メディアスクラムという名の人災(2017.01.13)
〈CASE 10〉 取材謝礼のグレーゾーン(2016.12.13)

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