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2017年5月25日 (木)

犯人の主張を報道すれば犯罪の手助けになるか 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第17回

2011年11月、千葉市で発生したバスジャック事件では、犯人が「マスコミを呼べ」と要求しましたが、記者はバスに入ってインタビューすることはありませんでした。しかし、1960年代に静岡で発生した旅館立てこもり事件では、犯人の要求通り、報道記者たちが多数旅館を訪れて取材しました。男の主張は、在日朝鮮人に対する不当な差別の告発であり、一部の文化人や知識人は彼の主張のなかには聞くべき内容があると考え、支援に乗り出しました。

マスメディアは不特定多数の人を対象に情報提供しているため、ともすれば多数者の側からものを見ることに慣らされがちです。30年ほど前に、新聞業界に飛び込んだわたしは「権力から距離を置け」「いつも庶民の側から」「声なき声に耳を傾けろ」と先輩から教えられたものです。

〈CASE 17〉犯人の主張を報道すれば犯罪の手助けになるか http://keisobiblio.com/2017/05/23/hatanaka17/

少数者や社会的弱者の異議申し立てに敏感であるべきだという風潮が薄らいでいった遠因に、コンプライアンスを理由にした記者活動の締め付けや、記者たちの出身階層の高さがあるのではないでしょうか。今回の論考で取り上げた本田靖春のようなタイプの記者にとって、いまの報道界はとても息苦しいと思います。

バックナンバー

〈CASE 16〉経営破綻を報じる時宜と大義(2017/04/25)
〈CASE 15〉「忘れられる権利」か、ネット上での記事公開か(2017/04/04)
〈CASE 14〉世間に制裁される加害者家族をどう報じる(2017/03/41)
〈CASE 13〉被害者の実名・匿名の判断は誰がする? (2017/02/21)

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