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2017年6月22日 (木)

新聞の「編集権」はだれのものか 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第18回

上越タイムス社が地元くびき野NPOサポートセンターに紙面づくりを委ねる協働をはじめたとき、「編集権を放棄した」「新聞の魂を失った」などと陰口がささやかれまいた。しかし、陰口していた人たちは、「編集権」問題を十分に理解していたでしょうか。

日本新聞協会が1948年に公表した「編集権声明」は厳しく批判されてきました。というのも、この時期、新聞経営者たちが「編集権」を必要とした理由に疑義がもたれているからです。当時、米ソの緊張が高まるなかGHQや時の吉田政権が日本の“左傾化”を危惧し始めていました。そして、新聞経営者たちは労働運動を抑え込みたがっていたのです。

〈CASE 18〉新聞の「編集権」はだれのものか http://keisobiblio.com/2017/06/20/hatanaka18/

新聞協会がいう「編集権」は、経営管理者、つまり社長やオーナーに固有の権能です。彼らには「編集権」を守る責務があるのだと謳っています。

たしかに、「この記事を載せろ」「これを書くな」などという外部からの圧力を排除するために用いるのであればいいでしょう。しかし、「内部」に対してもこの「編集権」を振り回すのが当たり前になれば、会社の方針に従わない記者をクビにする根拠となりかねません。実際、岡山の山陽新聞社で社員解雇の理由に「編集権」が持ち出されたこともありました。

バックナンバー

〈CASE 17〉犯人の主張を報道すれば犯罪の手助けになるか(2017/05/23)
〈CASE 16〉経営破綻を報じる時宜と大義(2017/04/25)
〈CASE 15〉「忘れられる権利」か、ネット上での記事公開か(2017/04/04)
〈CASE 14〉世間に制裁される加害者家族をどう報じる(2017/03/41)

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