卒業式の翌日/祭りのあと
毎年のことですが、卒業式の翌日というは、なんだか寂しい感じがします。式当日はハレの日だし、着飾った教え子たちに「君ら卒業できて、ほんま良かったのー」とか「社会人になったら、もう遅刻はあかんで」などと軽口をたたいて、こちらもチョッピリ浮いた気持ちになりますが、その翌日は、心に穴が開いたような感じがします。まだ教員という仕事に慣れていないからなのでしょうか。
祭りのあと 唄:渥美清https://www.youtube.com/watch?v=S3ltnB_1Rek
他方、ちっとも卒業してくれない学生もいて、それはそれでヤキモキさせられます。人生80年時代なので、30歳くらいまでなら、遊びほうけていても全然かまわないと思います。むしろ、おもいきり道に迷うくらいのほうが良いかもしれません。でも、そういう感覚は、自分と無縁の学生に対するもので、実習やゼミ生で少しは濃密な時間をともにした学生の場合は、気をもまずにいられません。
じぶん自身を振り返れば、おそらく優しくしてくれた大人たちをハラハラさせ、ときに迷惑をかけ、気をもませ、いらだたせたのだろうと思います。大学を出たばかりの若者は、社会的な経験値がゼロのくせに、じぶんを過信していたりして、どことなく危うい年ごろだと思います。実社会に放り出されたとき、よき人々に迎え入れてもらえればいいのですが、世の中けっして善人ばかりではありません。
謝恩会でベテランの先生が卒業生に向かって、「頑張りすぎてはだめ」「つらいときは『助けて!』と叫びなさい」というメッセージを送っていましたが、ほんとうにその通りだと思ます。「これはヤバイぞ」と思ったら、母校の教員に相談してほしいと思います。
若いころには気づけなかった、感じられなかったことが、60歳近くになり、じんわり心に染みてきた……そんな卒業式の翌日でした。
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