同僚記者がセクハラ被害を受けたら
2018年4月12日、『週刊新潮』が財務省事務次官のセクハラを報じました。気になったので、わたしも新潮を買って、記事を読みました。
記事の中で発言を引用されていたのは次の6人。①大手紙記者、②テレビ局記者、③別のテレビ局記者、④別の大手紙記者、⑤テレビ局デスク、⑥財務省を担当する30歳のある女性記者。⑥は①~④と重複している可能性がありますし、取材協力者がほかにいるかもしれません。被害者は、大手紙や在京キー局の取材記者たちで、財務省担当者がターゲットになったことが分かります。
どの記者も、いまはモリカケ取材に忙殺されていることでしょう。ナン十年に一度の政界スキャンダル。それに比べれば、自分が受けたセクハラ被害は小さいと判断していたのかも知れません。あるいは、自分がハラスメントの標的になることを承知のうえで、あえて次官から情報を得ようとしていた人がいたのかも。いずれも想像の域を出ませんが、何らかの理由でこれまで表沙汰になってこなかったところへ、新潮が書いた。
しかし、よく考えれば、「次官のセクハラ発言」は自社でスクープできたはずです。新潮は何社もの記者に取材しているようですが、自社の記者が被害を受けただけでも記事になります。自前のメディアでは報じず、新潮に持って行かれた格好です。抜かれた悔しさはないでしょうか。
もう一点。自社の社員が業務中に性的いやがらせの被害を受けていたら、会社として対策を考えなければならないはずです。今のご時世、どの社も「ハラスメント研修」を実施していると思います。「大手紙」や「テレビ局」では、記者がセクハラ被害を受けたときの対策はあったのでしょうか。その点、気にかかります。
同僚記者の目も気になります。新潮の報道によれば、次官の「セクハラ発言」は常態化していたようです。被害を受けた記者だけでなく、財務省担当の記者たちの間では広く知られていたと考えられます。同僚が被害を受けていることを知っていたのに、見て見ぬふりをしていた記者がいたとすれば、その人は「冷淡な傍観者」です。
セクハラ被害を、直属の上司や、相談室のような部署、あるいは産業医に申し出るのは、当事者にとって勇気のいることでしょうし、男性の私が分かったようなことを言うべきではないかも知れません。でも、取材先でのセクハラ被害を黙認するようなジャーナリストは、社内でハラスメントが起こったとしても、見なかったことにする可能性が大きいと思います。そうすることで、
組織ジャーナリストは偉くなるにしたがい、権力を持つ人や組織に追従し、弱者や被害者への共感を失う傾向があるのでしょうか。
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