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2020年3月30日 (月)

記者たちの省察~『沖縄で新聞記者になる』を書いて

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新聞記者はいったい何を基準に取材対象を選んでいるのでしょう。研究者たちは「ニュース・バリュー」や「ゲートキーパー」などの概念を使って説明するでしょう。「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースだ」という言葉のように、記者が飛びつく事象と、見むきもしない事象があり、そこにはある種のルールがあります。

そんなニュース報道をめぐるメカニズムについて、わたしも大学の授業で採りあげていますが、それだけでは説明がつかないケースもあります。端的にいうと、ニュースになりにくい/ならないテーマを熱心に追いかける記者たちが少数ながらいるということです。そして、彼ら彼女ら行動原理を説明する理論は、わたしの知る限り見あたりません。

わたしが新聞社に入社した30年ほど前、在日や部落問題を熱心に取材する先輩がいました。少数で特殊な存在でした。一体なぜ彼ら彼女らが差別に取り組むようになったのかを聞く機会もないままに、わたしも、つらい思いをしている人たちの役に立ちたいと考えるようになりました。でも、なぜそんな気持ちになったのか自覚したことはありませんでした。

いわゆる人権の問題に取り組む記者たちの心理とはどのようなものなのでしょう。他人の心はわからないので、わたしの例で考えてみます。新人記者時代のわたしは、下記のような素朴な思いを胸に取材活動をしていたように思います。

《この世界には、権利や自由を踏みにじられている少数者(マイノリティ)がいる。そんな隣人の痛みや苦しさを、多数者(マジョリティ)に伝える必要がある。読者・視聴者の多くは多数者(マジョリティ)だ。多数者が差別問題に関する記事を読めば、少数者の苦痛を想像し、反省する機会になり、やがて少数者の権利が守られるようになる》

ほとんど赤面モノですが、若い頃のわたしは、少数者の苦痛を多数者に教える善きジャーナリストをめざせ、とじぶんに言い聞かせていました。自由や権利を踏みにじられている少数者の側からすると、じぶんたちの理解者であり味方です。対する多数者の側からみれば、あえて「罪の意識」を突きつけてくる、ちょっと面倒くさい記者かもしれません。そして、そういう記者は、わたしが所属した大手メディアでは主流ではなく傍流に置かれることが通例でした。

わたし自身が新聞社で「出世したい」と思ったことがなく、「傍流」にいることに心地よさを感じていましたが、そこには一種の欺瞞があったようにも思います。出世しない(本当は、できない、なのですが)ということは、責任を取らされずに済むということです。エラくなっていく同僚を「上昇志向の奴ら」などと貶し、「こっちは生涯一記者だ」などと空威張りできる気楽な立場です。

一部の少数者団体からは、出世しない記者はむしろ信頼を得やすかったのではないでしょうか。というのも、少数者たちにとって大手マスメディアは体制側の大企業です。そんな企業内で、あえて少数者の困難を報道しようとする記者は「少数者の苦痛を多数者に教える善きジャーナリスト」そのものです。そうした記者はたいていの場合、少数者たちの抗議活動から“免責”されます。

わたし自身も、少数者の団体から「この記者は味方だから」と受け入れられた経験が一再ならずありました。しかし、わたしは道具的な意味で「味方」になることはあっても、被差別や抑圧の実体験をもつわけでもなく、ましてや少数者の同胞でありません。いくら少数者に寄り添おうとしても、「差別する側」「抑圧する側」だという事実から逃れることができません。そのことは薄々わかっていたけれど、そこは見ないことにしていました。

「人権」記者のなかには「善きジャーナリスト」を演じて自己利益のために少数者を利用する偽善者もいると思いますが、そうではないくて、心の内側に生じる反省や悔恨あるいは後ろめたい気持ちを自覚し倫理観に基づいて行動している記者もいるはずです。たとえ、それほどニュースになりにくい/ならないテーマであっても信念を抱いて追いかける。胸中に程度の差こそあれ内省や省察があると思われるのだけど、これまでのジャーナリズム研究ではそこを取りこぼしてきたのではないか――沖縄の新聞社に就職した本土出身者たちから聞き取りをおこない、その成果を『沖縄で新聞記者になる』(ボーダー新書)にまとめた経験を経て、そうした思いがいっそう強まりました。

この問題を考えるのに必要と思った本たち(50音順)
阿部 岳『ルポ沖縄 国家の暴力 米軍新基地建設と「高江165日」の真実』 朝日文庫, 2020
カール・バーンスタイン『マッカーシー時代を生きた人たち : 忠誠審査・父と母・ユダヤ人』日本評論社, 1992(原題:Loyalties: A Son's Memoir, 1989)
河原 理子『犯罪被害者:いまいま人権を考える』平凡社新書, 1999
菅豊『「新しい野の学問」の時代へ:知識生産と社会実践をつなぐために』岩波書店, 2013
鈴木 伸元『加害者家族』 幻冬舎新書, 2010 
報道人ストレス研究会『ジャーナリストの惨事ストレス』現代人文社, 2011
本田靖春『私戦』 河出文庫, 2012 
松村 圭一郎『うしろめたさの人類学』ミシマ社, 2017
森口 豁『沖縄 こころの軌跡 1958~1987』マルジュ社, 1987

 

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