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2020年5月22日 (金)

取材源の秘匿について-産経新聞「主張」を批判する

5月22日の産経新聞「主張」は「賭けマージャン 自覚を欠いた行動だった」と題して、東京高検の黒川弘務検事長を厳しく批判した。

批判のひとつは、黒川氏が「3密」の要請を無視して遊んでいたことだ。しかも、自らの定年延長にからんで国会が揉めている最中であった。それが「あまりに軽率な行為で、弁明の余地はなかった」と黒川氏を批判した。

もうひとつは、検察官の職業倫理の問題だ。黒川氏の行動は、2011年に最高検が定めた「検察の理念」に記された規範について「自覚を全く欠いていた」と述べた。

そこまでは理解できる。問題はその先の記述だ。

「主張」は、新聞記者も「新聞倫理綱領」を守らなければならず、「本紙記者2人が、取材対象者を交えて、賭けマージャンをしていたことが社内調査で判明し、謝罪した」と記しつつも、「取材対象者」が誰なのかについては明らかにしていない。「取材相手との接触の詳細は、(取材源の)秘匿の対象にあたる」ためだという。

そこで疑問が生じる。今回の問題を考える際に「取材源の秘匿」を持ち出すことで、誰が守られているといえるのだろうかということだ。

取材源の秘匿とは、誰から情報を得たのかを明らかにせずに報道する際にジャーナリズムの側が求めてきた、ちょっと難しい理論だ。いうまでもないが、通常の記事では「○○によると」と、情報源を明らかにするのがジャーナリズムの鉄則である。それは無責任なことを書かないため、つまり、記事が検証に耐えられるようにするための作法である。一般的な報道では取材源は可能な限り明らかにすることが記者のイロハだ。

ただし例外がある。「○○によると」式の報道のように、記事で取材源を明らかにしてしまうと、その人に危険が及んだり、著しい不利益を与えることが予想されるような場合だ。付け加えれば、その人がもたらす情報によって、社会の不公正や不正義が暴かれることが期待されるような場合が重なるときは悩ましい。

そんなとき、ジャーナリズムの倫理は、取材源を秘匿しながら報道することを尊んできた。何が何でも取材源を守れり、注意深く報道せよという要請である。分かりやすく言うと、「チクったやつはだれだ」と脅されても、絶対に言ってはならない。たとえ逮捕されようと投獄されようと、取材相手の信頼に応えることがジャーナリズム倫理――取材源の秘匿の核心である。

週刊文春の報道によると、賭けマージャンは朝日新聞の元検察担当記者と黒川氏を交えて産経新聞記者の自宅で繰り返し行われていて、しかも新聞社のハイヤーで黒川氏を送り迎えしていたという。朝日と産経としては、文春にすっぱ抜かれたわけだ。

そんなみっともない姿をさらしているにもかかわらず、「主張」筆者は、ウォーターゲート報道を連想させる「取材源の秘匿」というカッコいい理屈を挙げて、何がおこなわれたかを明らかにしようとしない。わたしには、そうした言説が、真相を糊塗するかのような二重三重に恥ずかしい行為に映るし、先人のジャーナリストたちが彫琢してきた取材源/情報源の秘匿の論理を毀損し、ジャーナリズム信頼を損なう振る舞いにも思える。

取材源の秘匿は、取材源を守るためのものであり、企業防衛や格好つけのための小道具ではない。

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