カテゴリー「democracy」の88件の記事

2008年11月17日 (月)

田母神論文公表の効用

あくまでも思考実験。もしも国民にも近隣国にも善をもたらさないと思われる国家があったと仮定して、そんな政府で働く軍人が政府見解と矛盾する言説を発表したとする。そのときの軍人の処遇はいかにあるべきか。その国家が建前としてリベラル・デモクラシー体制を堅持しているのなら、軍人の言説を抑圧すべきではないのではないか。よしんば、政府見解とは異なった意見を発表することでパブリックにダメージを与えることが明白だとしても、事前に抑制・禁止するのはよくないような気がする。田母神論文問題の内容が逆の内容であったとしても納得できる方策を探るのがリベラルな途だろう。「あの論文はイデオロギー云々のレベルに達していない幼稚なもの」という見方もあるが、それが当人にとって切実な「思想」であれば、たんに「知性に乏しい」という斬り捨ては傲慢である。こんなことを記したのは、18世紀フランスの思想家ヴォルテールの金言(本人の書き物のなかからは見つからなかったようだが)を思い出したから。

"I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it”.
あなたの意見は受け入れがたいが、あなたがそれを主張する権利は命をかけても守る

続きを読む "田母神論文公表の効用"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月26日 (日)

第二の近代≒再帰的近代と熟議(備忘録)

Sinoharaすこし前のこと。某新聞社の先輩に「デリベラティブ・ポリング というのがありますよ」とお伝えしたことがある。当時はたんに「めずらしいもの」としてお知らせしたにすぎなかったのだが、ただの物珍しさだけではなく「いまこそ必要なもの」として提案べきであったと反省している。きっかけは、Hゼミで熟議と再帰的近代化との関係について問われ、要領よく説明できなかったこと。ようするに、本で読んだだけの知識がわたしの血肉となっていなかった、ということだ。

篠原一 (2004) 『市民の政治学-討議デモクラシーとは何か』 岩波新書

続きを読む "第二の近代≒再帰的近代と熟議(備忘録)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月25日 (木)

ガッテン!秩序と専制のトゥリアーデ(備忘録)

Tatuo_jiyuron研究者の世界だけで流通する学術書のコトバは、日常のそれからほど遠い。専門用語やわけの分からない引用元や注などの記号、虚仮おどしのしかつめらしい表現が続き、ヘタくそな文章も珍しくない。ただ、学者のなかには、入門書や啓蒙書を易しい文章で書く能力とサービス精神をもつ人もいる。ある基礎ゼミでK先生が「古典は干物。乾燥して食べるのに苦労するが、噛めば味が出てくる。甘いお菓子のような本よりも、堅い干物を咀嚼する力をつけよ」と(甘い声で)話していたが、今回読んだ本はお菓子ふうパッケージのくせに栄養価が高かった。

井上達夫 (2008) 『自由論-哲学塾』 岩波書店,双書哲学塾

続きを読む "ガッテン!秩序と専制のトゥリアーデ(備忘録)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月15日 (月)

オリンピックより阪神タイガース

Ronza9696いつかこんなタイトルの論文を書いてみたいと思う。これは、柄谷行人さんと山口二郎さん、中村岳志さんによる『論座』最終号の鼎談にあった中見出し。3先生とも、ナショナリズムを高揚させる北京五輪よりも、阪神球団を核にした人と人とのつながりを好むという立場のようだけど、コミュニタリアンとは違っていてアソシエーショニズムの再評価のような気がした。わたしも東京でもう一度タイガースを応援してみてもいいような気がする。


座談会「現状に切り込むための「足場」を再構築せよ」 柄谷行人、山口二郎、中村岳志 『論座』 08年10月号

続きを読む "オリンピックより阪神タイガース"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 9日 (火)

ミハルコフ『12人の怒れる男』は法より慈悲

12wa6ヘンリー・フォンダが『十二人の怒れる男』(原題:”12 Angry Men”)を世に送り出してから半世紀。ロシアのニキータ・ミハルコフがロシア版の『12人の怒れる男』(原題:”12”)を製作した。舞台は21世紀のロシア。戦火を逃れてきたチェチェン少年がロシア人の養父を殺害したとして起訴される。今日的な素材を扱いながらも12人の陪審員が討議の後、合意に至る点はオリジナルと同じだが、底流に流れるのは〈ロシア的なるものの再興〉のように思えた。

ニキータ・ミハルコフ監督 『12人の怒れる男』 (原題:”12”、2007、ロシア)

続きを読む "ミハルコフ『12人の怒れる男』は法より慈悲"

| | コメント (3) | トラックバック (6)

2008年9月 6日 (土)

自由の制約<犯罪の防止?

Shimabara_police
元公安委員長の白川勝彦さんが職務質問に遭った顛末をウェブサイトで紹介している。ひとつは2004年11月のできごとを記した忍び寄る警察国家の影、もうひとつは2006年12月22日に掲載された「またまた職務質問に!」である。いずれのケースも東京・渋谷警察署の地域課職員による圧迫的な内容。2度目のケースで白川氏が職質の理由をただしたところ、警官の1人は「これでけっこう犯罪が見つかるんですよ」と自信たっぷりに答えたという。このところ、わたしのブログが「職質」で検索されることも多い。とりわけ秋葉原事件以降、アキバをはじめ新宿、渋谷など各地で強引で悪質な職質が横行しているようだ。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると言わんばかりの手当たり次第の職質は、市民的自由の侵害にほかならない。真面目な警察官もいると信じたいが、法知識のない若者やヲタク男性をいじめてストレスを発散させている不届き者もいることは、YouTubeにアップロードされた動画などから想像できる。

リベラリスト 白川勝彦の 「永田町徒然草 またまた職務質問に!」
渋谷ドキュメンタリー24時(19) ~ 逮捕から職質まで ~ on YouTube
職務質問@秋葉原中央通り 02 on YouTube
職務質問競技会(2007/09/04放送) on YouTube 

続きを読む "自由の制約<犯罪の防止?"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 2日 (火)

「他人事」を嗤う「観客」

リベラル・デモクラシーやら、デリベラティブ・デモクラシーに関する文献を読み返し、『論座』で川出良枝先生が書かれた「砂のように孤立化していく個人をどう救うか/デモクラシーと集団を考える」などを味わっていたところへ、福田首相が退陣会見で記者の質問に逆切れする場面を見せつけられ、ゲンナリした。「わたしは自分自身を客観的に見ることはできる。あなたとは違う」という最後の言葉は、質問した記者だけではなく、福田のこれまでの言動について「他人事のように聞こえる」という印象を抱いている国民に対して浴びせかけられたと思う。

田村哲樹 (2008) 『熟議の理由-民主主義の政治理論』 勁草書房
川出良枝 (2008) 「砂のように孤立化していく個人をどう救うか」『論座』10月,通巻161、pp.20-26

続きを読む "「他人事」を嗤う「観客」"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年7月21日 (月)

『市民ケーン』とハースト創業者

Citizenkaneアメリカ映画に登場する新聞社オーナーのなかで最強最悪の人物は『市民ケーン』主人公チャールズ・フォスター・ケーン Charles Foster Kane だろう。ケーンを表象するキーワードは、権力欲、金銭欲、名誉欲、色欲、そして紙面の私物化といったところか。ケーンが経営する新聞社と新聞紙のキーワードとしては、センセーショナリズム、スキャンダリズム、コマーシャリズム・・・。いずれにしても民主主義や市民社会にとって害悪でしかない。キャプラの『スミス都へ行く』に登場する鼻持ちならない新聞社オーナーは架空の小悪党だったが、ケーンのモデルとされる人物は、米メディア・コングロマリットのひとつハースト Hearst Corporate の創業者ウィリアム・ランドルフ・ハースト William Randolph Hearst! ウェールズは、ハチのムサシのように、どえらいオヤジと闘ったのである。

オーソン・ウェールズ監督 『市民ケーン』 (原題:"Citizen Kane"、1925、米)

続きを読む "『市民ケーン』とハースト創業者"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月14日 (月)

釜山港じゃなくトクヴィルへ帰れ(備忘録)

Tatuo2003Democracy_in_americajpgその昔、チョー・ヨンピルは「釜山港へ帰れ」を歌ってくれたが、I先生は講義で「トクヴィルに帰れ」と話した。マスメディアの功罪のうち罪が目立つようになったときの対応策を考えるとき、一度は原点に立ち返ろう――原点といえば、やはりトクヴィル。I先生は、毒をもって毒を制するというようなことを話されていたが、ようするに小さな毒を吐くメディアの数が膨大にあれば、強烈な毒を吐く少数のメディアの存在感が薄まるということだ。

トクヴィル (2005) 『アメリカのデモクラシー 第一巻 (下) 』 松本礼二訳、岩波文庫
井上達夫 (2003) 『法という企て』 東京大学出版会

続きを読む "釜山港じゃなくトクヴィルへ帰れ(備忘録)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月20日 (金)

ふりだしのロールズ (備忘録)

Contemporarypoliticalphilosophy A_theory_of_justice秋葉原の通り魔事件が、格差に関する議論に弾みをつけている。容疑者が携帯サイトの日記に「勝ち組はみんな死んでしまえ」などの文章を残していたことがマスメディアで広く伝えられたためだ。ただし、日記を見てみると、経済格差やその原因のひとつである学歴差別の問題よりも、むしろ容姿や恋愛をめぐる“負け組”意識(内的な格差感覚?)のほうが深刻に思える。そして、そうした格差感覚に対し、ロールズの正義原理はうまく適用できない。ただし、せっかくなのでこの際、ロールズが最初に提示した原理を備忘録としてメモしておきたい。ロールズはすごろくでいうと「ふりだしに戻る」的な存在だ。

ロールズ,J (1979) 『正義論』 矢島鈞次(訳)、原題 ”A Theory of Justice”、紀伊国屋書店
キムリッカ, W (2005) 「第3章 リベラルな平等」 、『新版 現代政治理論』 岡崎晴輝ほか(訳)、原題 ” Contemporary Political Philosophy”、日本経済評論社

続きを読む "ふりだしのロールズ (備忘録)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 6日 (金)

休暇を取ってでも見たい『休暇』

Dsc01511宿直勤務を終え仮眠も取らずに本郷壁際ロースクールの映研に飛び入り参加したら、ゴルゴ姉さんに遭遇して1度目の驚き。さらに、試写上映の種を蒔いた功労者がゴルゴ姉さんだったと知り2度目の驚き。交友の幅も広く、いつも何かをやらかしてくれるあたり、ゴルゴ姉さんらしい。3度目の驚きは映画『休暇』のおもしろさ。原作は吉村昭の短編。死刑を考える上で非常に示唆に富む。上映後の質疑応答も別の意味で示唆に富んでいた。

門井肇監督 『休暇』 (原作:吉村昭「休暇」=中公文庫『蛍』所載、日本、2008)

続きを読む "休暇を取ってでも見たい『休暇』"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年5月27日 (火)

『ブリッジ』の語りづらさ

51eexvmndlこれを観た後しばらくの間、あれこれ思いをめぐらせることはやめておこうと思っていた。いったん忘れて、運良く思い出したら、その時あらためて考えてみようと。そしてきょう、ふと思い出してしまった。この映画は自殺者と自殺未遂者、その関係者たちのドキュメンタリーである。ドキュメンタリー作品としての完成度には疑問が残る。だが、、、、

エリック・スティール監督 『ブリッジ』 (原題:The Bridge, 米, 2006)

続きを読む "『ブリッジ』の語りづらさ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 5日 (月)

『ヘアスプレー』で描かれた「ニグロ・ディ」

Hairspray_flash2_ジョン・トラボルタがお母さん役にチャレンジして話題を呼んだ『ヘアスプレー』を観た。ボルチモアに暮らす天然系の16歳少女がひょんなことからTVのダンス 番組に出演し、陽気に踊って人気者になるというコメディ。ちょっと当惑したのは、字幕で「ブラック・デイ」と訳されていたのに、よく聴くと役者たちはきちんと「ニグロ・デイ(Negro Day)」と言っていた。なんでやねん。

アダム・シャンクマン監督 『ヘアスプレー』 (原題:Hairspray , 米, 2007)

続きを読む "『ヘアスプレー』で描かれた「ニグロ・ディ」"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月 5日 (土)

ひとつの典型的な批判

典型的なエッセーである。この筆者と同じような不満を持つ知的な人は少なくないのだろう。ひょっとすると、こういう人たちは熟議の民主政にも共鳴するかもしれない。でも、もしリップマンが生きていたら何と言うだろう。たしかに、インターネットにさまざまなコミュニティができ、人々が時と場所を越えてつながりあい、伝統メディアの“抑圧性”を批判したり、代替メディアを作ることも容易になったが・・・

Robert Niles, 'It's time for the newspaper industry to die', "USC Annenberg Online Journalism Review", 2008-04-04

続きを読む "ひとつの典型的な批判"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 1日 (火)

マルチチュードとマスメディア

Negri先週の土曜日、東京大学創立130周年記念事業として開催された「アントニオ・ネグリ氏講演会 | 新たなるコモンウェルスを求めて」を見に行った。ネグリは日本政府に入国を拒まれたが、国際電話で参加し、イベント自体は成功だったと思う。わたしは阿呆だから、ネグリ・ハートの『帝国』を買っただけでロクに読んでいないし、ネグリの政治思想について詳しく知っているわけではないが、いろんな意味でインスパイアされた。でも、どうも気になることがある。

アントニオ・ネグリ氏講演会 | 新たなるコモンウェルスを求めて

続きを読む "マルチチュードとマスメディア"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月25日 (月)

日本海軍→富の鎖→わからない節

Azenbo_soeda軍歌として生まれたメロディが、風刺の歌に作り替えられた例ならありそうだが、革命歌に改作された例はどれくらいあるだろう。おととい、「日本海軍」という歌のメロデイが、「わからない節」という風刺歌として親しまれ、「富の鎖」という社会主義運動の歌になったことを知り、少なからず驚いた。

「日本海軍」 on 天翔艦隊ウェブサイト
「ああわからない」ソウル・フラワー・モノノケ・サミット - 試聴 on MUSICO
添田唖蝉坊 on Wikipedia

続きを読む "日本海軍→富の鎖→わからない節"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年2月16日 (土)

世の中、費用対効果?

「極論を言っちゃえば、すべて世の中、費用対効果だ!みたいな価値観を、僕は持っているので」という若い人のセリフに触れ、少なからず当惑した。発言の一部分だけを抜き出すだけではなんのことかわからないと思うが、記事全文を読めば、まんざら露悪的に振る舞っているわけではないことが分かる。発言の主は「23歳男性。2007年に慶応大学を卒業し、広告会社に入社。細身で長身。大学時代から知り合いのBさんによると、『かなりモテる』そう」というAさん。発言の場は朝日新聞社の月刊『論座』3月号「当事者座談会-ポスト世代ですが、何か?」である。

「当事者座談会-ポスト世代ですが、何か?」 『論座』 朝日新聞社、2008年3月号、pp.190-203

続きを読む "世の中、費用対効果?"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年2月 6日 (水)

長谷部先生の半纏

PhotoNHKの番組「爆笑問題のニッポンの教養」に長谷部恭男先生が出演していたので、ディスプレーに向かってシャッターを切った。もちろんテーマは憲法。話題は、国家なるものにはじまり、表現の自由や集団的偏向現象(group polarization)などあっち行ったりこっち行ったりと、たいへんおもしろかった。目を見張ったのは、長谷部先生がドクロをデザインした半纏を着ていたこと。そして、番組の冒頭で、「自然科学をやってる先生は悩みが少ない」という意味のことをサラリと言ってのけたので、思わず吹き出してしまった。

続きを読む "長谷部先生の半纏"

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2008年2月 2日 (土)

ホテルを糾弾するだけでいいのか

傍観しながら批判をするのは簡単だ。むろん沈黙するよりもはるかに評価できる。だが、いくら激しい言葉を並べても、切実さや痛みが伴わない言葉は届きにくい。そんなことを考えさせてくれたのが「日教組が教研全体集会の開催中止」のニュースである。客観主義の格率からの逸脱も時には必要ではないか、などと考えた。

日教組が教研全体集会の開催中止 ホテルが使用拒否、51年以来初 (47news 2008/02/01 16:42)
会場使用拒否 言論の自由にかかわる問題だ (毎日新聞社説 2008年02月02日付)
日教組大会 集会の自由は守らねば (中日新聞社説 2008年02月02日付)
教研集会拒否―ホテルが法を無視とは (朝日新聞社説 2008年02月02日付)

続きを読む "ホテルを糾弾するだけでいいのか"

| | コメント (25) | トラックバック (5)

2008年1月31日 (木)

似て非なるモノの備忘録(1)

一般的に混同され誤用されまくっているけれど、専門家が明確に区別しているものが少なくない。こういうものの区別をパキっと説明できるとかっこいい。たとえば、人文科学/社会科学の区別、社会主義/共産主義の区別、市民社会論/公共圏論の区別など。「そうめんと冷や麦のような違い」と煙に巻くことはできるが、短いセンテンスで説明できるほうがカッコいい。

続きを読む "似て非なるモノの備忘録(1)"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年1月 1日 (火)

公民の徳を陶冶する陪審制

12angrymen2007年の最後の最後に、ヘンリー・フォード主演の『十二人の怒れる男』をようやく観ることができた。うわさにたがわず良い映画だった。井上達夫先生によると、米国におけるアメリカの陪審員制度の目的は、 private な領域に生きる人たちを public な空間に無理やり引きずり出して civic virtue を陶冶することだそうだが、そういう視点で見れば面白さが増す。

ヘンリー・フォンダ製作、シドニー・ルメット監督『十二人の怒れる男』(12 Angry Men、米、1957)

続きを読む "公民の徳を陶冶する陪審制"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月29日 (土)

参加デモクラシーについての備忘録

個人的な思考メモです。無視してください。
討議デモクラシー(ハーバーマス)は2つの回路からなる。ひとつは制度的プロセス。議会による議決に基づく。法治国家だからね。もう一つの回路は市民社会の意見形成プロセス。こちらは討議倫理に基づいて出される意見に基づく。ハーバーマスは後者が前者に正統性を与えるという。前者のメインステージが議会であるとすれば、後者の舞台は・・・・いわゆるところの「市民的公共圏」ということになるのだと思うが、それはどこにあるのか。ないとすれば、具現化する仕組みは・・・・??

続きを読む "参加デモクラシーについての備忘録"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月23日 (日)

自由のジャーナリズム/善のジャーナリズム

仙台に本社がある河北新報社が22日に開催した「ITフォーラム コミュニティーと地域SNS」に参加した。河北新報社はニュースサイト「Kolnet」の兄弟サイトとして、2007年4月17日に、SNS「ふらっと」をオープンし、地方新聞社ならではの活用法を模索している。今回のフォーラムの目的も、地域SNSの可能性を考えること。驚いたことに、参加者に占める若い人の割合が高かった。毎日労組が開催した12月3日の集会は著しいグレツル現象に見舞われて気の毒だったけど、河北のフォーラムには希望が感じられた。スタッフのやる気が違うのかも。

SNS活用で地域に力 仙台でITフォーラム(河北新報 Kolnet, 2007/12/22 23:38)
河北新報ITフォーラム「コミュニティーと地域SNS」詳報((河北新報 ふらっと, 2007/12/26)

続きを読む "自由のジャーナリズム/善のジャーナリズム"

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2007年10月31日 (水)

青空文庫10周年

Azbtn_2情けない。重大なことを見過ごしていた。インターネット利用者なら誰でも気軽に利用できる電子図書館「青空文庫」がことし7月7日に10周年を迎えていた。先日、東京新聞の記事を読み、恥じ入った。祝電ならぬ祝メールを送れなかった。10周年を記念して、青空文庫は、作品一式を収録したDVD-ROM付き冊子『青空文庫 全』を、約8000にのぼる全国の図書館に寄贈したそうだ。すばらしい!

青空文庫 Aozora Bunko http://www.aozora.gr.jp/

続きを読む "青空文庫10周年"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年10月13日 (土)

池に落ちた犬

古来から、池に落ちた犬を叩くという表現がある。政治的なイデオロギーか、故事成語か、いったいなにが原典なのかは知らないが、いずれにせよ、伊勢の赤福は今、池に落ちた犬のような状態にある。製造日を偽装してJAS法に違反したとして、農水省から行政指導を受けた。途端、連日連夜、叩かれ続けているわけだ。細かいミスや問題はあるかもしれない。ただ、三重県はこれまで赤福に対し「食品衛生法に違反はなく、商品の品質に問題はない」とお墨付きを与えてきたわけで、過去の食品メーカーによる「偽装」とはわけが違う。

食品衛生法には違反せず 県、過去に「問題ない」と伝達 (伊勢新聞 2007/10/13)

続きを読む "池に落ちた犬"

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年10月 1日 (月)

公衆に期待しない

9784760131693じぶんたちをじぶんたちで統治するため、わたしたちはデモクラシーという社会のルール/手続きを採用している。政府・国家の暴走を憲法によって規制し、少数の為政者ではなく総体としての国民が統治者として“君臨”するのがデモクラシーの本義。だが、産業が発展し、複雑化の一途をたどり、膨大な人口をかかえる大社会(Great Society)において、公衆(Public)はホンマに“統治者”たりうるだろうか。そんな根源的な問いを、W.リップマンは1920年代に立てていた。『世論』に続いて出版された“The Pnantom Public”は公衆への幻滅を説く。修論執筆時は原著をちょびちょび拾い読みしただけだが、同志社の河崎さんの訳を読み、あらためて考えさせられた。

リップマン,ウォルター(1927=2007)『幻の公衆』河崎吉紀訳、柏書房
Lippmann, Walter (1927) "The Phantom Public", Library of Conservative Thought

続きを読む "公衆に期待しない"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月30日 (日)

数ヶ月間存在した同盟

Photo同居人への誕生日祝いに、ユンカーマン監督のDVDを贈るという感覚は、たし