カテゴリー「journalism」の206件の記事

2017年3月14日 (火)

世間に制裁される加害者家族をどう報じる 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第14回

マスメディアの犯罪報道は、どちらかというと、被害者に同情的で、加害者に厳しい目をむけがちでした。被害者の立場からすれば、加害者の人権が守られているのに被害者は放置されたままだ、という気持ちになります。しかし、加害者本人は逃げ回っていたり、警察に逮捕されていたりして、バッシングの矢面に立たされているのは、その家族です。

加害者家族に石をぶつけるのは「世間」です。少年犯罪をめぐり、かつて閣僚の1人が、「親は市中引き回しの上、打ち首にすればいい」とおぞましい発言をしましたが、これが世間の処罰感情でしょう。こうした世間の劣情はマスメディアの報道と確実響き合っているように思います。

〈CASE 14〉世間に制裁される加害者家族をどう報じる http://keisobiblio.com/2017/03/14/hatanaka14/

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2017年2月21日 (火)

被害者の実名・匿名の判断は誰がする? 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第13回

事故事件の被害者を実名で報じるか、匿名にするかの判断は悩ましいものです。

マスメディアで主流の考え方は、国民の知る権利に応えるため原則的に実名報道すべし――5W1Hの “Who(だれ)”という情報は記録性や検証性に加えて権力監視のためにも必要だ――という立場です。

ただ、被害者のなかには「名前を出したくない」という人もいます。名前が広く知られれば、支援しようという人が現れるかも知れませんが、逆に、被害者や犠牲者を食いものにしたり、心ない中傷をしたりする人が現れるのではないか。そんな危険性を排除できません。

〈CASE 13〉被害者の実名・匿名の判断は誰がする? keisobiblio.com/2017/02/21/hatanaka13/

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2017年1月31日 (火)

取材先からゲラのチェックを求められたら 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第12回

取材に協力してくれた人から「原稿の内容を確認させてください」と求められた経験があるジャーナリストは少なくないでしょう。新聞社やテレビ局などの組織ジャーナリストたちは、社内でガイドラインが作られたりしていることが多く、あまり悩まない人が多いかもしれません。他方、フリーのジャーナリストや雑誌編集部、テレビ局でも報道以外の部門では、考え方が異なっていると思います。

組織ジャーナリストは「求められても見せない」と突っ張り気味ですが、それは一種の思考停止。一度は取材協力者や取材対象の側に立って悩んでみてはどうでしょう。

〈CASE 12〉取材先からゲラのチェックを求められたら keisobiblio.com/2017/01/31/hatanaka12/

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2017年1月13日 (金)

メディアスクラムという名の人災 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第11回

大事件や大事故、大災害のたびに「メディアスクラム」を発生させていれば、じぶんたちが社会から信頼を失うことを、現場の記者たち自身が実感しています。「見世物じゃない」「邪魔だ、帰れ」「マスゴミはいらない」……そんな言葉をたびたびぶつけられていれば、だれだって、これじゃダメだと気付くはずです。

取材陣が連日大挙してやくる地域の住民にしてみれば、「スクラム」になっているメディア関係者を排除したいはず。「報道の自由」は大切かもしれないが、だからといって、自分たちがメディアスクラムの被害を押しつけられてはたまったものではありません。警察に依頼して、取材陣を強制排除してもらいたいと思っても不思議ではありません。

〈CASE 11〉メディアスクラムという名の人災 keisobiblio.com/2017/01/10/hatanaka11/

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2016年12月14日 (水)

取材謝礼のグレーゾーン 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第10回

「わたしは取材謝礼の類いを一切しません」――そんな方針を貫くジャーナリストがいます。ネタをお金で買うようになってしまったら「小切手ジャーナリズム」と区別がつかなるし、欲得抜きで取材に応じてくれる人に現金を差し出すのは失礼なことかもしれません。週刊誌や民放ではケースバイケースのようですが、一般紙では、謝礼を支払わない原則はほぼ守られているのではないでしょうか。

ただ、ジャーナリストも切れば血の出る人間です。取材相手に多大な負担や犠牲を強いてしまう場合には、言葉だけでは済まないと思えることもあるはずです。謝礼金を支払わない代わりに、その人に有利になるよう事実を曲げて報道するわけにいきません。すなおに、感謝の気持ちをカタチにするほうが良い場合があるかもしれません。

やっかいなのは、どれくらいの謝礼がなされているのか、読者・視聴者には分からないということですね。

〈CASE 10〉取材謝礼のグレーゾーン keisobiblio.com/2016/12/13/hatanaka10/

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2016年11月29日 (火)

小切手ジャーナリズムとニュースの値段 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第9回

「小切手ジャーナリズム」という言葉があります。一般に、お金を支払って得た情報を報道ることを意味します。金に物を言わせてネタを買うこと、ジャーナリズムの世界では「恥ずべき行為」とされています。理由は簡単。ジャーナリストは「知る権利」を体現する役目を担っていて、情報の加工流通業者ではないからです。

でも、それは規範論であって、競争状態にあるジャーナリストたちにとって、できればネタ元を独り占めしたいもの。特ダネのためなら大金を支払うケースも起こりうる、というのが実態です。ネタ元が要求する場合だってあります。じっさい「有料記者会見」は幾度も行われてきました。

「知る権利」を振り回すわりに毒にも薬にもならないニュースを報道する記者よりも、わたしたちに必要なのは、小切手ジャーナリズムでもなんでもいいから、有益な報道ができる記者のほうかもしれません。ただ、小切手ジャーナリズムが公然とおこなわれるようになると、ニュースの公共的な価値が減じるかも知れません。

〈CASE 09〉小切手ジャーナリズムとニュースの値段 http://keisobiblio.com/2016/11/22/hatanaka09/

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2016年10月31日 (月)

原発事故、メディア経営者の覚悟と責任 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第8回

東京電力福島第一原子力発電所が爆発事故を起こした際、大手マスメディアは待避指示を出し、原発から半径数十キロ内の地域を取材する記者がいなくなり、“情報空白地帯”が生まれした。原発から20~30キロ圏内の住民が、われ先に逃げていったマスメディアに不信感を抱いたのはいうまでもありません。

在京メディアは東京に逃げ帰る場所がありますが、災害が発生した地域のメディアに逃げ場はありません。たとえば放射能事故が起こったとき、その近くに位置するメディアの指揮官は、どのような決断を下せるでしょうか。記者の立場から離れて考えてみませんか。

〈CASE 08〉原発事故、メディア経営者の覚悟と責任 http://keisobiblio.com/2016/10/25/hatanaka08/

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2016年8月30日 (火)

報道の定義、説明してくれませんか? 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第7回

橋下徹氏は大阪市長時代、みずからが率いていた政党の映像取材班を会見場に参加させました。政党メディアが「報道機関」が主催する記者会見に、「報道」の主体として参加した例は、日本のジャーナリズム史上異例の事態だったのではないでしょうか(悪しき前例を作りました)。

記者クラブ側は当初、維新のカメラが取材する側に陣取ることを「報道目的ではない」と断りました。しかし「報道の定義」をめぐる橋下氏の問いに対抗できず、結局、維新のカメラが入りました。結果、報道記者が橋下氏から叱責・面罵される光景まで含めてYouTubeなどで閲覧されるようになりました。本当にこれでよかったのでしょうか。

〈CASE 07〉報道の定義、説明してくれませんか? http://keisobiblio.com/2016/08/30/hatanaka07/

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2016年8月 9日 (火)

組織ジャーナリストに「表現の自由」はあるか 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第6回

「おーい、共同さん、共同さん!」――いまだに共同通信記者として仕事をしていたころの夢を見ることがあります。夢の中では「畑仲さん」ではなく「共同さん」と呼びかけられたり、「おい、共同!」と怒鳴られたりもします。そんなとき、わたしは共同通信社という組織の一部(寄生虫?)として認識されていたことを思い知るわけです。

そういえば、大学を卒業して毎日新聞社に就職したときも、教育係の先輩記者からこんなふうに諭されました。大学出たての若造でも、毎日新聞社の名刺があれば誰でも会えるんだ。だけど、取材相手からすればお前みたいなチンピラなんてどーでもよくて、日本でもっとも輝かしい歴史と伝統をもつ言論機関と向き合ってもらっていると思え、と。

〈CASE 06〉組織ジャーナリストに「言論の自由」はあるか http://keisobiblio.com/2016/08/09/hatanaka06/

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2016年7月12日 (火)

戦場ジャーナリスト、君死にたまふことなかれ 連載「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」第5回

大手マスメディアが撤退した紛争地域を取材するジャーナリストたちがいます。彼ら彼女らの存在を、わたしたちはどのように受け止めればいいのでしょう。自衛隊がサマワに派遣されて以降、日本人は第三者ではなく当事者になったといえます。IS(イスラム国)は日本のジャーナリストを標的としていて、ジャーナリストの仕事は困難を極めています。

〈CASE 05〉 戦場ジャーナリスト、君死にたまふことなかれ http://keisobiblio.com/2016/07/12/hatanaka05/

わたし自身、新聞記者になりたてのころ、旅行先の東南アジアでたまたまクーデター未遂事件に遭遇したことがあります。戦車も戦闘機も出動しました。銃撃戦がおこなわわれた現場を、20代前半のわたしはカメラ片手に半泣きで取材しました。戦場では弾がどこから飛んでくるかわかりません。銃声が鳴り止むまで伏せる。鳴り止むと、撃たれてないことを確認し、より安全な逃げ場に移動するか、その場で踏みとどまり写真を撮るかを判断します。このとき、弾に当たって死亡したカメラマンもいましたが、わたしはかすりきず程度ですみました。運が良かっただけです。

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